2日目午前:キリストの墓

十来塚1 この旅の目的地の一つであるキリストの墓こと「十来塚」に到着。
ゴルゴダの丘でロンギヌスの槍に貫かれ処刑されたと思われていたキリストが実は生きていて、日本に渡り、そこで絶命したといういわゆる「トンデモ系」ネタの1つ。
こういうのは自分の目で確かめないと納得できない主義なので。
ちなみに向かって右がキリストの「十来塚」、左がイスキリの「十代塚」。

十来塚2 もとはここはただのお饅頭型の塚で、沢口家が代々祭っていたものだったらしいのだが、「竹内文書」を携えた竹内巨麿によって、ここがキリストの墓であると断言されたとのこと。
その後、マスコミやらなんやらで取り上げられて大騒ぎになったワケで。

キリストの生涯における空白の十数年間を日本で修行していたと説明しているのはまだ許せるとしても、身代わりとなって処刑された弟の名前がイスキリっていうのは…。(笑
スキリストを略して「イスキリ」ですよ、奥さん。怪しさ爆発。
なんてったってお供え物に数珠はお門違いなのでは?とか思ったり。

まあ、それはおいといて。


十来塚3 とにかくそういうことで、この十字架は後から付け加えられたもの。

キリストの墓の真偽はおいておくとしても、この新郷村というところは偶然とは思えないミステリが多い場所なのである。その一部を伝えるのが、十来塚の近くにある「伝承館」。観光客相手のミニ博物館といった様相を呈してますが。
キリスト、ユダヤと新郷村との共通点、後述の「大石神山」などに関することが展示してあった。

伝承館 特に、生まれた赤ん坊の額に魔除けとして十字を書くという風習(この村が隠れキリシタンの里だったとかそういうことではなく)。人形を見たときに背筋がゾクッときた。
ちょっとこの写真では見にくいのでご勘弁を。

どう考えてもこじつけっぽい弟の名前や、一部の強引な解釈など、明らかに受け入れがたいものもあるが、この村が外国からなんらかの影響をうけたのではないだろうかと考えさせられる。

それにしてもこの村、キリスト教弾圧時代をよく生き残ったものだと思う。額に十字なんて、どう見てもキリシタンっぽいじゃん。


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